【コラム】稲盛和夫さんの言葉と「×考え方」

稲盛和夫さんが亡くなった。書店には、稲盛さんの本が数種類平積みになっている。

稲盛さんは、京セラ、KDDIの創業者で、日本航空を再建された。アメーバー経営による部門別採算性と、京セラ「フィロソフィー」が稲盛さん考え方の2本柱だったと思う。

稲盛さんに直接お会いしたことはないが、大和証券勤務の若い頃に所属していた部署で、京セラの海外での資金調達のお手伝いをしていたことがあり、そのプロジェクトを担当していた先輩から、「稲盛さんって、社長なのに小さな車に乗っているよ」という話を聞いたことがある。また年に2回開かれる部店長会議で稲盛さんの講演をうかがったことを覚えている。「普通は講演をしていないけど、御社にはお世話になっているので引き受けました」とおっしゃっていた。そうしたことも関係して、20代の頃に、稲盛さんの書籍を何冊か読んでいる。また過去数年は、海外の投資家のエンゲージメントをサポートするために、京セラ本社を何年か訪問していた。

そのような経緯もあり、書店で平積みとなっていた稲盛さんの本を手にしたが、若い頃に、これはすごいと思った言葉を思い出した。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」というものだ。「稲盛和夫一日一言」という書籍では、1年366日分の言葉の1月1日に載っていた。次のような内容である。

この方程式は、平均的な能力しか持たない人間が、偉大なことを成しうる方法はないだろうか、といいう問いに、私が自らの体験を通じて答えるものである。

まず、能力と熱意は、それぞれ0点から100点まであり、それが積でかかると考える。すると、自分の能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりも、自分にはずばぬけた能力がないと思い、誰よりも情熱を燃やし努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができる。

この能力と熱意に、考え方が積でかかる。考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス100点からプラス100点まである。つまり、世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の結果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとなってしまう。

素晴らしい考え方、素晴らしい哲学を持つか持たないかで、人生は大きく変わってくる。

「稲盛和夫一日一言」より

能力と熱意は、本人の努力で高めることができるように思うが、考え方についてはなかなか難しい。何が正しいかは簡単にわからないからだ。哲学・生きる姿勢という観点からは外れるが、最近思っているのは、考え方というのは幾何学の補助線のようなものではないかといいうことだ。何かについてどう考えたら良いのか、自分でも考え方が整理されないことがある。その際に、関連する分野について調べ、あるいは直接関連はなさそうな本を読んでいて、フッと気づくことがある。この様な視点で考えれば、このように考えれば、同じ事象でも理解が深まると思う瞬間だ。ただし、意外にもその内容を人に理解してもらうのは難しい。相手がその視点については十分な理解がないからであり、またそれについて説明をするには、とてつもない時間が必要となるからだ。

ESG投資についても、基本的な話をしているはずなのに、なかなか理解してもらえてないと感じることがある。それは、ESG投資について色々と考えた時間の長さ、ESG投資の変遷を見てきた経験、投資全般の知識を持っているかどうかなど、それまでの経験時間(考えた時間)と質によって理解度が決まるためではないかと思う。

運用会社で運用本部長を務めていた時にも、同様な経験をしている。ある日、シンガポール出張から帰ってきた社員からこう言われた。「シンガポールの中央銀行から、なぜ当社のESGファンドの成績が良いのか尋ねられたので、説明に行ってください。」

すぐにシンガポールへ行って説明したが、その時に思ったのが同様なことだ。自分なら説明がいくらでもできるが、若手社員にはできなかった。その社員はESG投資について、社内では最も理解していると思われた社員であるのに説明できなかった。その原因を考えると、運用会社としてESG運用に取り組もうと決めて、それに適した運用調査方法や運用方法、運用組織について考えて実践に移したのは自分であり、その組織と運用結果については隅から隅まで知っているので、ESGファンドの成績がなぜ良かったという理由について説明するのは簡単なことであった。

一方で、出張を依頼してきた社員は、組織をどのように作り上げるべきかという検討には参加しておらず、出来上がってから既に組織化されたESG投資を見ていた違いがある。つまり、出来上がった組織に基づいた説明はできるが、どのような組織にすべきなのかという、理由を検討する手順を踏んではおらず、そのため、なぜそうなっているかという点については理解していない。これが、説明できる・できない、の差となっている、というのが私の結論だ。

「考え方×熱意×能力」の「×考え方」については、稲盛さんの哲学・生きる姿勢とは異なるが、私流に「考え方=補助線」、つまり気づいていない新しい視点で考えてみる、というのが物事の本来の意義を考える上では重要だと、自分の経験から改めて思った次第である。

ESG投資もPRI設立から16年経ち、現在では世界の多くの投資家が当たり前のように取り組んでいるが、本来の意義や、なぜ広まってきたのかという理由を理解することが非常に重要だと考えている。PRI設立以前の投資の世界では、ESGの統合は主流の投資家が気づかない、あるいは理解していなかった視点であった。現在のように、グリーンなファンドがEUのタクソノミーやSFDRなどで規則として定義される時代には、基本的な理解が欠けていては表面的な対応しか思いつかず、ファンドの運用会社や販売会社にとってはリスクにつながると思われるからだ。